純粋快楽


 純粋な快楽というのをどこかに保存しておきたい。しかしこれは難しことだ。
 セックス? 食べ吐き?
 これを形にしておきたい、変数に代入しておきたい、というのは、要するにそういう純粋快楽が何もないからだ。
 だからこそ、死ぬギリギリくらいにいる方が常に快楽を貪れて楽と言えば楽なのだ。拒食と過食を繰り返すのもそういうことだろう。非常にわかりやすい。
 おそらくこの定式化された快楽の最たるものが人格なのだ。わたしには壮大なフィクションと一体化してしまおうとした過去があるが、人格を持つということがすなわち、循環と摩擦のマスターベーションに他ならないからだ。
 ところが驚いたことに、人間たちはそれを自慰と知らずに日々繰り返しているのだ! これは本当に、とても不思議なことだ。つまり、ここで生まれた快楽は神様にでも送信されているらしい。
 そうしている間にも時間は流れ、朝が来て、また朝が来て、朝が来る。ある日突然来なくなって、代わりに誰が来るのかは知らない。
 この世界は美しい。