わたしはもちろん、「閉経後の女は女ではない」などとは思っていない。
しかし、その存立自体が、「閉経後の女は女ではない」とする何かによって基礎づけられた「女」が存在する。
例えば、わたしが帰化申請した旅団の者は、まさに「閉経後の女は女ではない、その閉経後の女」である。
まず、一つの問いがある。閉経後の女が女ではないとしたら、それは一体何なのか。
もちろん、正に「彼女」こそが女である。
まったく過不足なく、語の真の意味で女である。
それゆえにこそ、「閉経後の女は女ではない」という、防衛的ファンタジーが必要とされたのだ。まぎれもなく女であるような、圧倒的で不気味なものを視界から遮断するために。そこに何かが「ない」ことを隠す為にこそ、ミニスカートが存在するように。
しかしここで、ゲームの外に放り出す作業がうまくいかない場合がある。
つまり「閉経後の女は女ではない」として放り出す女を作り出すことに失敗したため、「閉経前」の女を獲得できない、という事態だ。
言うまでもなく、この場合にすべての女が「閉経前」とはならない。神がいなければすべてが許されるだろうか? 否、神がいなかければ許されるものは何もなくなる!
そういうわけで、歴史の大分後になってから、「閉経後の女は女ではない、その閉経後の女」を作り出す物語が生まれる。
もちろん、その女は目に見えない。見える女はすべからく「閉経前」なのだが、この物語で独特なのは、ただ「閉経前」と「閉経後」があるのではなく、ファンタジーの内部に交換不可能なコードが出現する、という点だ。これは不参加の女が硬直的にねつ造された結果である。
つまり、ここには次の驚くべき法がある。
「閉経するなかれ」。
そういうわけで、わたしは簡単に閉経するわけにはいかない。