一応補足しておけば、完全なる過去の完全性とは、価値判断とはまったく関係ない。「良い過去」「誇らしい過去」などといった物語は、この完全性のずっと後の話だ。
ある過去が存在した時、その存在の内実が常についてまわる、ということにこそ、完全なる過去という偏執がある。ただ存在する過去、ありようだけがあり存在しない過去、といったものは認められず、硬直した一対一対応が期待される、ということだ。
呪文のように繰り返されるレコードの針飛び、(神経症的でも倒錯的でもないという意味で)精神病的な構造。
一応補足しておけば、完全なる過去の完全性とは、価値判断とはまったく関係ない。「良い過去」「誇らしい過去」などといった物語は、この完全性のずっと後の話だ。
ある過去が存在した時、その存在の内実が常についてまわる、ということにこそ、完全なる過去という偏執がある。ただ存在する過去、ありようだけがあり存在しない過去、といったものは認められず、硬直した一対一対応が期待される、ということだ。
呪文のように繰り返されるレコードの針飛び、(神経症的でも倒錯的でもないという意味で)精神病的な構造。