「身に覚えのない記憶」。
自分の身体に入れた自分の名前の入れ墨。
移り行き信用ならない「ココロ」のすべてを放棄してもなお、誰かにとっては存在し続けるための刻印。
「わたし」とは結局、この放棄を通してしか流通しえない、永遠のfadingに他ならない。
わたしがわたしなのは、わたしがいない時だけだ。
子供の頃、持ち物には名前を書くように言われた。
入れ墨で入れる名前は大抵は恋人の名であって、つまりは自分の所有者を明示している。
自分の名前を入れ墨する時、それはあくまで自己の自己所有を主張するナルシシズムを表象しているようだが、この想像的閉鎖回路は決して動作しない。
なぜなら、名前を刻印された「わたし」はモノとなり、永遠にわたしの手を離れてしまうからだ。そして刻印の効果とは、正にこの別離に他ならない。
わたしがいなくなっても、わたしがわたしでいられるための印。
わたしの死体が浜辺に打ち上げられて、解剖される時のための目印。