許可を得るためにほとんどの少年が使う方法は、他なるものを媒介とする経済に参入することだ。つまりニキビ面の男の子たちの群れと混ざり、生涯そこにとどまる。
あるいは(もっと直接的に!)「法」の遵守により許可されようとする。もちろんこの「法」は彼自身の定めたものだが、決してそうは認めない肛門的症候もある。そして確かに、それを定めた(定めることができたはずの)「彼」は彼であって彼でないものなのだから、強迫神経症者には真理がある。
両者に共通する誤認は、いずれにせよ許可される方法がある、ということだ。
それゆえ、ほとんどの少年は致命的に醜悪になる。
既に許可されている、という少年がいる。
彼は美しい。そして既にニンゲンではない。
許可は必要ない、許可されるほどの財bienなど持っていない、という少年がいる。
自らの財の無さを証し立てるために血を厭わない少年がいる。
彼もまた美しい。そして既に少年ではない。