実は、英雄だけが英雄なのだ。
英雄になる可能性があったけれど英雄になれなかった者にとっても、英雄になる可能性を剥奪された者にとっても。
ところが、常にこれは「権利」の問題へと誤読されていく。
英雄になる可能性を剥奪された者は、英雄になる「権利」、英雄の可能性こそが問題だと考える。そのため、自分たちには最初から決定的な不足がある、と考える。権利さえあれば状況が変わると思う。
一方、英雄になれたかもしれない者は、その「権利」こそが自らの劣等感の源であると考える。可能性が初めからなければ、英雄でないことによって苦しむこともなかったのに、と。
ところで、英雄は実在するのだろうか。